第2次大戦後、北海道では米国駐留軍から道路維持の要求が続いていました。1952 (昭和27)年春、札幌の真駒内キャンプの司令部と千歳基地間の国道36 号についても抜本的な改良の要請があり、事業を実施することになりました。事業費用は日米安全保障諸費の特別予算で編成され、工期は着工より1 年で完成することが約束されました。
この国道36号の道路改良は、北海道の道路にとって非常に重要な転換点となった整備です。それまでの凍上、積雪等の寒冷地道路の課題対策として凍上抑制層導入や、高速交通での不便を解決する設計基準を定め、機械力投入による高速施工を実施するなど、この事業は、北海道に限らず全国の道路改良工事の指標となりました。 軍事色の強い事業化の経緯から、工事は当初より「弾丸道路」と呼ばれました(各地に同じあだ名を持つ道路があり、経緯も同様)。北海道で長らく使われたこの呼称には、「弾のように早く」の意味合いもあり、本格的な自動車道路に初めて触れた市民の驚きが込められています。 弾丸道路の工事の時期は、1952 (昭和27)年6 月に公布され12 月に施行された「道路法」、そして翌年の「道路整備費の財源に関する臨時措置法」、さらに1954 (昭和29)年からの道路整備5ヶ年計画の開始と、今日の道路をかたちづくった一連の法律が整備された時期にあたり、それらと同時並行にて先進的な設計の道路を実現した意義は、特に寒冷地の道路整備にとり重要でした。 ※画像をクリックすることで拡大してご覧いただけます。
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