十勝川統内新水路は、水害常襲地であった十勝川流域の洪水被害を軽減し、北海道および十勝地域の発展に大きく貢献した開拓の礎であり、また石狩川、釧路川に続く北海道の大河川の泥炭湿地帯における河道掘削及び築堤の施工技術や過程を示す後世に残すべき貴重な土木遺産です。
2023年、十勝川は治水事業開始から100周年を迎えました。 大正期の十勝川は、原始河川の様相で、河道は激しく蛇行し、帯広市街地から下流域は低平地が広がり、洪水を受けやすい地形でした。ひとたび洪水が起こると旧十勝川左岸の鉄道の盛土から右岸に広がっていた低平地、統内原野の湿地全体に水があふれました(写真1)。1922(大正 11)年 8 月の大水害を契機に、1923(大正 12)年に十勝川は治水事業に着手しました。 この治水事業において最初期に建設された土木施設の一つが十勝川統内新水路です(写真2、図1)。十勝川統内新水路は、十勝川流域の洪水被害の軽減はもとより、未開発であった統内原野の開発促進のため、低平湿地の水位低下による農地や可住地の創出等を目的として計画されました。1928(昭和 3)年に着工し、9年後の1937(昭和12)年9月12日に通水しました。 工事前の統内原野は表層から泥炭で厚く覆われ、野地坊主とヨシ原の原野でしたが、十勝川統内新水路の完成によって、十勝川流域関連市町村の人口は 約10 万から 約30 万人に、畑地面積は 約10km2から 約110km2(11,000ha)へと拡大し、日本有数の食糧供給基地である現在の十勝地域の発展の基盤となりました。 十勝川統内新水路は、明治時代以降に実施された道内の治水事業の中で、最も延長の長い新水路開削工事です。(十勝川統内新水路:約 15.2km、新釧路川(釧路川新水路):11.2km、夕張川新水路:11km) この建設には、生振捷水路(1917〜)、釧路川新水路(1921〜)などの河道掘削技術が活かされています。 十勝川統内新水路の工事は、十勝川治水事務所長であった斎藤静脩が主導しました。斎藤は、十勝川治水事業に先駆けて常呂川・釧路川治水事務所長として、釧路川の泥炭湿地帯における新水路建設に携わっていました。この釧路川の治水事業で使われた馬トロ、エキスカベーター(写真3)、機関車トロッコ(写真4)、掘削土砂運搬用の鉄道敷設技術などが、工事に携わった工員たちとともに統内新水路工事に引き継がれ、この結果、釧路川新水路の約1.4倍の長さの新水路の開削工事が、同じく10年という期間で実施されました。現場担当者は北海道庁技師の池田一男、工藤学而らが担い、約1,600万m³の土工工事、泥炭土での築堤の可否、堤防位置などの計画を実施しました。 十勝川統内新水路の建設により河床低下が考えられたため床固工のほか、十勝川左岸の池田町への円滑な農業用水の取水を目的に、十勝川統内新水路と同時期に千代田堰堤(2004年度選奨土木遺産)が建設されています。 ※画像をクリックすることで拡大してご覧いただけます。
|
|