第5回 映画編『映画監督が語る土木の魅力』
春井 雄介 鈴木 崇之
写真-1 土木映画撮影のエピソードについて熱心に語る田部監督
経歴 |
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1930年9月 | 生まれ |
1954年 |
早稲田大学文学部卒業後,新理研映画に入社.以後,文化映画の製作,演出に従事する |
1964年 |
フリーとなり,以後教育,文化,科学,記録映画等の作品を数多く手がける |
最近の主な作品に,
「石を架ける〜石橋文化を築いた人びと」 (1996年日本産業映画ビデオコンクール大賞 ほか)
「洪水をなだめた人びと〜治水と水防にみる先人の知恵」 (1997年日本産業映画ビデオコンクール大賞 ほか)
「明治建築を作った人びと〜コンドル先生と四人の弟子」 (1998年日本産業映画ビデオコンクール大賞 ほか)
「日本の近代土木を築いた人びと」 (2001年 キネマ旬報文化映画部門第1位 ほか)
「石を積む〜石垣と日本人」 (2001年 文化庁優秀映画大賞 毎日映画コンクール記録文化映画最優秀賞 ほか)
などがある. |
土木映画を撮り始めたきっかけ
監督は土木の映画として,まず最初に『石を架ける』
という作品を撮っていらっしゃいますね.
これはね,カメラマンの高橋慎二氏が熊本県にある通
潤橋を見たときに,そのすばらしさに感動して何とか映
画にしたいと,彼が私に企画をもちかけてきたことから
始まったんです.そこで,自主製作映画として撮影を行
いました.おかげさまで日本産業映画ビデオコンクール
で大賞をいただきました.
なぜ,土木に焦点を当てた映画を撮ろうと思われたの
ですか.
もともと,橋については常々想う所があったんですよ.
私の出身地の,島根県の松江には松江大橋という立派な
橋があったんです.その松江大橋の真ん中に,宍道湖の
美しい夕景を眺める場所がわざわざ造られていて,夕涼
みに人々が集まっていました.しかし,戦後になって松
江大橋と宍道湖との間に,自動車を通すためだけの無粋
な橋ができてしまった.これに非常に大きな疑問をもっ
たんです.橋は本来,もっと夢があるものではないのか,
人間の夢を形にするべきものではないか,とね.そして,
このことは映画として主張できるのではないかと考えた
わけです.
そして,その石橋の映画を撮影している時に,加藤清
正が造った「
石刎 いしばね1)」や「
鼻ぐり井手 いで2)」といった治水対策を見て感動したんです.これらの治水対策は,自然を
良く知るものでないと考えつかないような対策をしてい
るんですよ.この撮影を通じて,土木の想いみたいなも
のが理解できた気がしますね.それが次の『洪水をなだめた人びと』の製作へと発展したわけです.
では,『石を積む』という作品はどういった経緯なので
すか.
これは,『石を架ける』『洪水をなだめた人びと』とに
続く土木遺産三部作を締めくくる作品として出てきた作
品なんです.石を積む,という土木の原点から土木遺産
を見てみよう,と.ただ予算が集まらなくて,出来上が
ったのは随分と後になってしまいましたが.
『日本の近代土木を築いた人びと』において,明治期
の技術者にスポットをあてられたのはなぜなのですか?
これはね,依頼があって撮り始めた作品なんです.た
だ,依頼であっても興味が湧かなければよい映画を作る
ことはできません.明治期の土木技術者というのは,日
本の近代土木のパイオニアたちです.初めて道を切り拓
く人々の話にはロマンがあります.これは映画を撮る立
場からすると非常に魅力があることなんですよね.
土木記録映画の難しさ
実際に,撮影されていて,苦労をされたのはどのよう
な点ですか.
実は,『日本の近代土木を築いた人びと』の前に,『明
治建築を作った人びと』(1999年日本産業映画大賞受賞)
という作品を撮っているんです.そして,これがかなり
評判が良かった.だから,関係者も次の作品にさらなる
期待をするんです.それがプレッシャーになりましたね.
過去の土木構造物の資料探しには苦労しませんでした
か.
確かに,今回の映画でも資料探しというのは苦労させ
られました.私自身で資料を集めたわけではないですが,
資料集め担当の助監督が駆けずり回っていました.でも
資料探しというのは土木の映画に限らず,映画作りでは
いつも苦労することなんです.
むしろ,土木の映画の撮影で苦労したことは,俗な言
い方になりますが,土木には“華”がないことなんです.
建築の場合はね,被写体自体に華があるから,ただカメ
ラを向けるだけで“絵”になるんです.それに対して,
土木は対象物自体が大きすぎるためにフレームに入りに
くく,全体像が見えないのでわかりにくいんですよね.
例えば,新潟県にある大河津分水可動堰を撮ろうとした
場合,カメラを向ければ堰を撮ることはできます.でも
堰を撮影できてもそれだけでは,一般の人には何がすご
いんだかわからないわけですよ.大河津分水可動堰を理
解するためには,越後平野の過去の歴史や,地域がどの
ように改善されたのか,といった歴史的背景,そして大
河津分水可動堰というものが技術的にどのように大変な
のかという技術的知識が必要なんですよ.これが,土木
を映画の対象にする難しさですね.
写真-2 大河津分水可動堰(新潟県分水町)
(写真集 青山 士/後世への遺産[パナマ運河/荒川放水路/信濃川大河津分水路],山海堂,1994年)
土木遺産の保存
私自身は,日本全国に散らばっている土木遺産の保存
について,まだまだ軽視されているのではないか,と思
うのですが,田部監督はどのようにお考えでしょうか.
『日本の近代土木を築いた人びと』の撮影では,かろ
うじて明治の土木遺産は残っていましたが,ほとんど同
時に撮影をした『石を積む』の映画では,江戸時代から
明治にかけての土木遺産は高度経済成長期に大量に姿を
消していました.土木というものがインフラに関わり,
時に人命にも関わるものであることを考えれば,耐用年
数や時代とともに進歩する技術によって改修などで姿を
消していくのもやむを得ないものだろうとは思いますが,
かけがえのない歴史的遺産が姿を消していくのは寂しく,
残念に思いますね.
土木に秘められた魅力
土木映画の撮影を通じて感じる土木の魅力にはどうい
ったところがありますか.
それはね,なんといってもドラマ,つまり人間くささ
があることなんですよ.例えば,台湾で烏山頭ダムを作
った
八田與一3)なんかは,台湾で銅像がある唯一の日本
人ですよね.台湾では戦後, 介石の命令で日本人の銅
像は全て撤去させられています.しかし,彼の銅像は台
湾南西部の嘉南平野の人々の熱烈な要望で,再び元の場
所に設置されたんです.彼は嘉南平野では神のように敬
愛されているんですね.また,福島県にある安積疎水を
設計した技師の
ファン・ドールン4)の銅像も戦時中に供
出命令が出ていたのを,住民が隠しておいて戦後に再び
戻している.八田與一と同じことが起きているんですね.
つまり,土木にはそれだけ人々の心を動かすものがある
んです.これは,土木の大きな魅力ですよ.
同じことは,橋にも言えるんです.橋がないために非
常に苦労した話や,縁談がまとまらなかった話というの
があるんです.その土地の人にとって,一本の橋ができ
るというのは,現代では想像もつかないほどの意味があ
ったんですよ.こういう,土地の人々のためになるもの
が土木では作られてきている.これが土木の映画を撮る
という魅力にもつながるんですね.
他には,どのような魅力がありますか.
明治以前に行われている土木事業というのは,また明
治期とは一味違った魅力があるんですね.
例えば,洪水の氾濫というのは現代の技術をもってし
ても完全に防ぐことはできません.加藤清正の治水技術
や,武田信玄の信玄堤などを見ていると,当時の技術者
は,洪水の氾濫というものが完全には止められないもの
だというのがわかっていたみたいなんですね.自然の力
は強大なもので征服できるものではありません.100の
ものを0にすることはできないからせめて50にしよう,
そういう知恵をこの時代の人々はもっていたんです.彼
らの技術には「知恵」の集積があるように思えて,非常
に興味がそそられます.そういうところに私は魅力を感
じますね.
土木を学ぶものへのメッセージ
過去の土木技術者の撮影を通じて,監督が感じる土木
技術者が学ばなくてはいけない点にはどのようなものが
あるのでしょうか.
一つは,やっぱり自然への畏敬,畏れですね.人は決
して自然を征服することはできないものだと私は思いま
す.しかし,現代,特に高度経済成長期以降,自然への
畏れというのがなくなり自然を征服できるものだと考え
るようになってきている気がするんですよ.この背景に
は,科学技術への過信,そして明治以前の時代を過去の
ものとして捨ててきてしまったということがあるんじゃ
ないのかなぁ.人間が動物の一員として生きるとしたら,
自然への恐れをもつべきだろうと思います.その意味で,
もう一度明治以前のころの自然に対する考え方を見習う
べきではないでしょうか.
もう一つは,土木事業は人類のため,人間のため,と
いう想いですね.土木事業には人類のためと素直に言え
るものがあるんです.
廣井勇5)の親友である
内村鑑三6)
は,“人民救済を目指した土木事業がいかに後世への最
大の遺物足り得るか”と力説しています.そういう点
で,土木に将来がないはずがないんですよ.ところが,
近年の土木事業はあまりにも巨大で,大きなお金が動い
ているために一般の人々が理解できる範囲を超えてしま
っている.土木技術者は,明治時代の人々が抱いていた
人類のため,人間のため,という土木の原点を一度振り
返る必要があるのではないでしょうか.温故知新,とい
いますが,“温故”をしないと“知新”にはならないん
ですよ.
最後に,学生へのメッセージをお願いします.
気概をもって欲しいですね.明治の人びとは,日本の
未来を自分が背負っているといった気概がありました.
古市公威7)は,“自分が1日休めば,日本の近代化が1日遅れる”といって,熱があっても授業を休むことは決
してなかったそうです.今の学生もそこまでとはいわな
いですが,日本の土木の将来を担っているんだ,という
気概をもって欲しいですね.
あと一点,あげるとすれば,土木記録映画を撮り始め
た動機でお話ししたように,橋一つの建設でも,ただ経
済効率だけを考えた無味乾燥なデザインのものではなく,
地域の文化財として後世にわたって人々が誇りをもてる
ようなものを造るように心がけてほしいと思います.
取材を終えて
監督の話は,非常にわかりやすく,楽しいお話でし
た.また普段土木に関わっているものでもなかなか気づ
かない土木の魅力や歴史上の人物についてちょっと違っ
た視線からの考えを教えていただいたような気がします.
土木のもつドラマって本当に魅力的なものなんですよね.
※『石を架ける』『洪水をなだめた人びと』『石を積む』の3作品についての
問合せは,兜カ化工房(TEL 03-5770-7100・担当田中)まで.また,『日本の近代土木を築いた人びと』についての問合せは,大成建設広報部宣伝グループ(TEL 03-5381-5009)まで.
1−石刎(いしばね):河川の川岸から川の中央へ向かって造られた石造り
の突起物.流れの速い地点に作ることで水の勢いを和らげると同時に,護岸の役割も果たしている.
2−鼻ぐり井手(はなぐりいで):熊本県を流れる白川中流域に設けられた
農業用水路.開水路の部分とトンネル部分とが連続した構造になってお
り,これによって上流にある阿蘇山の火山灰の堆積を防いでいる,とさ
れている.
4−ファン・ドールン(1837〜1906):明治初期に明治政府が招聘したオ
ランダ人技師の一人.1872年に来日し,他のオランダ人技師と共に野
蒜(のびる)築港や安積疎水など,数多くの土木プロジェクトに参加す
る.1880年帰国.
5−廣井勇(1862〜1928):明治を代表する土木技術者の一人.小樽港北
防波堤についての詳細は,土木学会誌2001年6月号『エンジニアの潔さ小樽港北防波堤』参照.
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“外からみる土木”を終えるにあたって
2002年5月号から始まった“外からみる土木”シリ
ーズは,今回の第5回をもって終了となります.そこで,
ここでは簡単にシリーズを振り返ると共に,“外からみ
る土木”シリーズにおいて,さまざまな分野の方に取材
していく中でどのようなことが得られたのかについて振
り返ってみたいと思います.
『Civil Engineeringと英語で訳されるように,本来,
土木工学は理学系の分野をはじめ,さまざまな分野と接
点を持つ“市民のための”総合工学です.しかし,日本
では土木工学は自らその扱う対象を限定し,土木の世界
の持つ広がりをつぶしてしまっているように思えてなり
ません.私自身,学部の段階で土木工学を学んでいく中
で,常々“土木ってもっと広いものなんじゃないか”
“もっといろいろな土木の分野があってもおかしくない
のではないか”と考えていました.学際化が叫ばれてい
る今こそ,他分野との連携・協力を通して新しい土木の
分野を開拓していくことが不可欠ではないでしょうか.
そこで…』
これは,今回のシリーズ連載の第1回に載せた問題意
識です.この点について,今回インタビューをした5人
の方は,いずれも土木の分野との連携・協力の大切さを
口々におっしゃっていました.第1回でインタビューし
た生駒さんは,ゴム業界への土木出身者の就職を“スタ
ーの誕生のようなもの”とおっしゃっていましたし,第3回でインタビューした小林さんも,“土木工学出身者の
必要性は,間違いなくあります.”と話していました.
第2回でインタビューをした高野先生からは,“ぜひ今
度一緒に共同研究をしましょう”とのお話をいただきま
した.これは,非常に嬉しいお話でした.まだまだ土木
の分野が切り拓いていける新しい分野はたくさんありそ
うです.
逆に土木の持つ他分野との連携不足という問題点につ
いて,厳しいご指摘もいただきました.
“(ゴム)材料に対する違和感を持たずに柔軟に対処
して欲しい”“土木は自分たちの分野の中だけで議論が
終わっている傾向があるように思える”“その広さゆえ
に土木の専門能力を外から見る眼が不足している気がし
ます.つまり,フットワークが軽くなかった.今後は自
分の所属を越えて外に出て行く必要があるのではないで
しょうか.”
やはり,他分野との連携が不足しているということは
私だけの勘違いではなく,どの分野の方も感じておられ
るようです.第2回の高野先生がおっしゃるように,世
の中の問題が複雑化し,学問に対するリクエストも変わ
ってきた現代において,学術交流を通じて包括的に研究
していくことは必須といえると思います.
土木を学ぶ学生へのメッセージでも非常に貴重なご意
見を伺いました.
第4回の由井先生からは,“現場において空や水を,
自分の目で見て仕事をして欲しいですね.机上の設計だ
けでは見えてこない部分が必ずあります.決して「木を
見て森を見ず」ということにならないようにしてくださ
い.”というメッセージをいただきました.また,第,5,
回の田部監督からは,“気概を持って欲しい.明治の人
びとは,日本の未来を自分が背負っているといった気概
がありました.今の学生もそこまでとは言わないですが,
土木に対する気概を持って欲しいですね.”という言葉
をいただきました.土木構造物において,今でも名声が
高いのは,技術者の構造物にかける想いがあったからこ
そだと思います.100年,200年と残るものならば,時
代を越えた人びとの眼に耐えうるものを作っていかなく
てはいけないでしょう.
最後になりましたが,インタビューに応じてくださっ
た方々をはじめ,写真や資料を提供してくださった方々,
編集に携わった方々などすべての方々にお礼を申し上げ
ます.ありがとうございました.
【学生編集委員 春井雄介】
「外からみる土木」テーマ一覧
Copyright 2001 Journal of the Society of Civil Engineers