序文 |
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激変する世の中-土木デザインの出番
田村幸久 土木学会景観・デザイン委員会委員長 大日本コンサルタント株式会社専務取締役
国士館大学理工学部客員教授 |
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激しく揺れ動く振り子
ここ十数年来の土木界( 主に官側といってよいかもしれないが)における土木施設の美しさに対する認識は大きく左右に振れているように見える。約20 年前のバブル景気の頃はコストなど気にかけず、皆熱病のようにデザイン云々と言っていた。なかには行き過ぎて首をかしげたくなるものも出現したが、官が旗を振ったシビックデザイン運動のようなそれなりの成果を収めたものもあった。しかしバブルが弾けて何が何でもコスト縮減という時代になり美しさは忘れ去られた。
その反省もこめて平成15 年に「美しい国づくり政策大綱」が出され、1 6 年には景観法が制定された。ここに来てやっと美しい国土を創ることの共通認識が定まったかに見えたのであるが、ここ1 年の社会の変化は真に凄まじいものがある。いまや流行語ともなった政権交代に始まり、コンクリートから人へのキャッチフレーズの下、公共事業の担い手である土木叩きが我々に追い討ちをかけている。
現在の土木界はその対応に追われ、土木技術者は余裕を失いかつての自信を失くしているようにも見える。そして再び土木の美を語る人も激減した。
「美しい国づくり政策大綱」はどこへいった?
いまや土木の第一線で美しい社会基盤をつくろうという議論も関心もめったに聞かれなくなってしまった昨今であるが、6年前我々の期待と希望を一身に担って登場した「美しい国づくり政策大綱」の高い志はいったい何所へ行ってしまったのか、と思わざるをえない。くどいようだがここに改めてその一部を引用する。
「( 前略)私達は、社会資本の整備を目的でなく手段であることをはっきり認識していたか?量的充足を追求するあまり、質の面でおろそかな部分がなかったか?等々率直に自らを省みる必要がある。( 中略)国土交通省はこの国を魅力ある国にするために、まず、自ら襟をただし、その上で官民挙げての取り組みのきっかけを作るよう努力すべきと認識するにいたった。そして、この国土を国民一人一人の資産として、我が国の美しい自然との調和を図りつつ整備し、次の世代に引き継ぐという理念の下、行政の方向を美しい国づくりに向けて大きく舵を切ることにした。( 以下略)」
これを受けて、取り組みの基本姿勢として「美しさの内部目的化」を高らかに宣言したことも画期的であった。
格調の高い良い文章だと思う。そしてこの高い精神性と志は今も健在であると切に思いたい。
土木デザインに出来ること
土木学会デザイン賞は今回で9回目を迎え、最優秀賞3件、優秀賞4件、奨励賞1件が選定された。橋梁、河川、街路町並み、公園、砂防と幅広い分野から選ばれているが橋梁の補修・復元が選ばれたことはこれからの時代を象徴するようで心強い。
「美しい国土を創るために土木の各専門分野にわたり良い手本を提示する」という賞の目的に沿って今回も優れた作品群が新たにストックとして加わったことを素直に喜びたい。このような努力が切れ目なく続けられることが、失われた土木技術者の自信と土木に対する国民の信頼とを取り戻すみちでもあると思うから。
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総評 |
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デザイン賞における無謬性
島谷 幸宏(九州大学大学院工学研究院教授)
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長 |
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今年の審査作品21 件のうち、最優秀賞3 件、優秀賞4 件、奨励賞1 件が受賞することになった。デザイン賞の選考は、応募された写真や書類に基づく1次審査を経て、複数の審査員が現地を訪ね、じっくりと眺め、評価する、2次審査において、実見者が作品について写真を投影しながら講評する。その講評を聞いたのち、審査員からさまざまな意見が交わされ合議で賞が決まる。
今年のキーワードをあげれば、「キズ」「小さくともきらりと光る」「空間の履歴との戦い」であろうか。また土木らしいものが最優秀となったのも特徴といえば特徴であろう。最優秀賞を中心にそのあたりのことについてみてみたい。
新豊橋はその造形の美しさと、景観への細部への配慮が高く評価されたが、景観上の欠点も指摘された作品である。この「キズ」の評価と歴史的隅田川橋梁群に匹敵するのかどうかという「履歴との比較評価」が議論のポイントであった。小ぶりではあるが、歴史的橋梁群に名を連ねる平成の名橋であるというのが、審査員の大方の意見であった。一方、特にアーチ部に設けられた登坂防止柵が景観を阻害している「キズ」をどのように取り扱うのかが大きな議論となった。現行の選考基準では一度「優秀賞」を受賞したものは再度「最優秀賞」に応募する道は開けておらず、デザイン賞における無謬性は今年も大きな論点であった。議論の末、長期間存置する土木施設としての橋梁本体の景観レベルは極めて高く、欠点を補ってあまりあり、また「キズ」は修復可能であり、最優秀にふさわしい作品であるとの結論に達した。関係者は最優秀デザイン賞に恥じない、すみやかな改善を検討して欲しい。無謬性に関しては、一般的な判断基準を示すことは難しく、作品それぞれに対して個別に判断することが望ましいというのが私たちの見解である。
遠賀川は、「近代の空間の履歴との決別」を土木デザインによってなしえたことを私は高く評価している。遠賀川は産炭地の河川として舟運路あるいは洗炭水の水源として地域に大きな役割を果たしてきた。しかし一方で、黒く汚れた川また石炭産業が廃れたあとは旧産炭地の河川という負のイメージを払しょくできない河川であった。そのイメージを一変させたのが直方の水辺である。改修する前の固められた河川は、直方の水辺の整備によって緩やかな起伏とのびやかな空間としてよみがえった。景観デザイン力が河川や地域のイメージまで変えてしまうことを示した記念碑的な作品である。また地域の住民、行政、大学が協働でデザインし、特に学生たちが景観模型の製作やデザインに直接かかわったことも、このデザインの特徴である。高水敷のゆったりとした起伏と水辺への緩やかな傾斜は、のびやかで開放的な空間を提供しており、本当に気持ちのいい空間となっている。ただし、このデザインも「キズ」というほどではないが、河川のデザインとして重要な水際部の処理に関しては課題が残っている。左岸側は水裏部であり護岸の必要性自体を問う必要があるし、右岸の護岸は直線的で単調であり生物に対する配慮には課題が残っている。
津和野本町・祇園丁通りは、限られた幅員のなかで、舗装パターンを工夫することによって歩行者優先の心地よい街路が出現している。生活空間の中の道、歩行者優先の道の模範を示した。「小さくともきらりと光る」デザインである。これまでの最優秀賞に比べると規模が小さいと感じるかもしれないが、土木の本質に迫る完成度が高いデザインに評価が集まった。
数々の賞を受賞している黒川温泉がなぜ最優秀賞でないのかについて少し言及する必要があるだろう。町の風景づくりとしては、審査員が講評で述べている通り確かにすばらしい。しかし、土木施設に対して十分にデザイン上の意が尽くされているだろうか?これほど素晴らしい町の風景と比して河川、道路、橋梁などはきっちりとデザインされているであろうか?十分とは言えないであろう。土木施設にも目を向け、さらに質の高い風景整備に努めてもらいたい。
最後に、奨励賞について言及したい。奨励賞は昨年設定されたばかりの賞であり、なにをもって奨励賞とするのかということに関してはまだ十分な積み重ねがない。昨年は、優秀賞に次ぐ作品に奨励賞が送られたが、本年度は、砂防分野における景観への積極的な取り組みを奨励する意味で地獄平砂防堰堤が選定された。外力の大きい鉄道橋、砂防、港湾などの分野はデザインが難しい分野であるが、国土の風景の質を上げるためにはこれらの分野においても果敢な取り組みが必要である。これからも砂防分野から優れた作品が生み出されることを期待している。奨励賞選定の評価軸が定まるまでには、もう少し時間がかかるように思う。
以上のように、今年のデザイン賞の選考も大変白熱した。
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設計者はどこまで出来るか?
どこまで責任を持つべきか?
猪熊 康夫(中日本高速道路株式会社企画本部技術開発部長)
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今年度、私は初めてデザイン賞の委員を務めさせて戴いた。今年度の応募作品は、橋梁、河川など土木らしい作品も多く、講評を書かせて戴いた応募作品も含めて、いくつかの作品を見ることが出来た。また、他の委員の方々の幅広い見識に新たな視点を得ることも出来た。
ここにどうしても道路を造らなければならない。都市計画、環境影響評価などにより、道路の計画高さ、幅員などは決まっている。デザインと言う観点で仕事が出来るのは多くの場合、ここから先だと考えられる。昨今の公共事業費の節減により、事業費は減っている。他の所と違うこと、他の所以上のことを行うための手続き、説明が大変である。
駅前シャッター通りとなった街に何とか人通りを戻したい。事態の深刻さを考えると、なんとか短期間に仕上げたい。広く意見を聞いている時間はない。
設計者は、常にこのような制約の中で設計を行っている。設計者はどこまで出来るか?どこまで責任を持つべきか?
応募書類を読み、現地へ行って応募作品を見る過程で、様々な制約、設計者の思考過程に思いをめぐらす。最終的には出来上がった作品に対しての評価となる。
今年度の最優秀賞の3 件、優秀賞の4件、奨励賞の1 件は、このような制約を設計者がうまく乗り越えて実現しており、まさに賞にふさわしい。
奨励賞の地獄平砂防堰堤は、本体の石積みのデザインはすばらしいのであるが、その上の歩道の石積みとは整合性を欠いている。ただ、ライトアップをして、地域の中心にしようとする意思は見事である。その観点から、奨励賞に値すると考えている。
委員会の中では、すべての作品に対して、さらにレベルアップした上での再応募に関しても議論された。細部をさらに詰めるという姿勢も大切であるが、しっかり詰めた上での、渾身の応募を見たい。過去の受賞作品を見て、将来に思いを寄せ、しっかりした作品の応募を来年も期待したい。
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デザインの側面についても注目することが大切
桑子 敏雄(東京工業大学大学院社会理工学研究科教授) |
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今年はじめてデザイン賞の選考委員として、「土木デザイン」とういことを意識しながら、応募作を拝見させていただいた。委員会での討議だけでなく、実見による評価というたいへん興味深い選考方法もまた新鮮な体験であった。
地域づくり・まちづくりや河川整備などの社会基盤整備で、住民参加型合意形成のお手伝いをするなかで、地域の「空間の価値構造認識( ふるさと見分け)」を行うことが多々あったが、今回の経験で、構造物のデザインの側面についても注目することが大切であると、改めて考えさせられた。
「ふるさと見分け」では、空間の構造、空間の履歴と人々の関心・懸念に注目している。デザインされる構造物の評価も、地域空間の構造にしっくりと調和し、地域の履歴を映し出し、また、人々の関心・懸念に答えて、地域の誇りとなるようなものがすぐれているのではないだろうか。その意味で、今回の優秀賞はどれもそれぞれの特色ある空間のうちでその存在感を示すものとなっていた。
最優秀賞の3 作品のなかで新豊橋は、他の著名な橋とともに、隅田川の空間イメージを創り出すという役割において重要な意味をもっている。新豊橋近辺の地域社会においても、この橋を渡りつつ生活を営む人々の身体空間の風景をも構成するであろう。
津和野本町の道づくりも、地域に生きる人々の人生に深く刻印する風景づくりとなっている。車道と歩道の関係をどのようにデザインするかということは、身体的空間での人間の行動と安全にかかわる問題である。津和野の人々は、安全と景観を対立的に捉えず、むしろ両者の共存、総合をはかろうと試みた。
遠賀川直方の水辺づくりは、水辺のデザインというだけでなく、河川と河畔のつくりだす「ひろびろとして、気持ちのいい」空間そのもののデザインであると実感した。
最優秀賞、優秀賞の作品は、そこに暮らし、往来し、遊ぶ人々の感性全体を包む空間のデザインとなっているように思う。
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デザインの総合性、一体性
小出 和郎(株式会社都市環境研究所代表取締役) |
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今年の応募作は橋梁、河川、道路が多く、土木デザインという意味では解りやすかった。土木デザイン賞はその対象を広げてきた訳だが、公共空間のデザインの質向上という点から、デザイン賞の役割は大変大きく、対象の拡大も意味があると思う。ただ対象が広がるにつれ、審査の基準は高くなる傾向にある。大規模な施設、まちづくりなどは総合性、一体性という点から評価され、単体の小規模な作品はある意味で不利となる可能性が高い。
そういう中では、本年の作品は、個々の土木デザインを評価するという解りやすい例が多かったと思う。最優秀賞もこの3部門から各1作品となった。これもある意味妥当な結果である。
昨年話題となった、「キズ」について触れておきたい。昨年、本年ともに、本来設計者の責任に属さない行為が、素晴らしい作品の質を結果として下げてしまう例が登場する。昨年は佐賀の石井樋、設計範囲外のいくつかの付加的な要素が、本来は最優秀賞であるべき作品の弱点となった。今年は、新豊橋にも同じような問題があったが、結果的には最優秀賞となった。新豊橋の方がやや軽傷ともいえるが、私はこの件は「改善要求付きの最優秀賞」だと思っている。新豊橋の管理者( 東京都足立区)には、早急に現在の状態( 安易な侵入防止柵と貼り紙)を、土木デザイン最優秀賞にふさわしく、また橋の利用者が違和感を感じないデザインを実現してほしい。このケースだけではなく、デザインの総合性、一体性を確保するという意味で、完成後の追加工事なども設計者と協議して進めてほしいと思う。
黒川温泉は、風景づくりとして本当に見事である。おそらくこの雑木による風景づくりは全国にも通じるモデル性がある。すなわち、日本ではなかなか答えの見いだし難い、官民境界部の扱い方に対する一つの答えでもある。日本の風景の多様性を考えると、黒川温泉の方法を参考にして、それぞれの地域が地域特性を活かす様々な形が可能ではないかと思う。黒川温泉と同じであれば、二番煎じになってしまうけれど…。
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美しい国土と、市民に愛される景観
田中 一雄(株式会社GKデザイン機構代表取締役社長) |
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本年の土木学会デザイン賞は、久々に橋梁や河川といった、土木本来の領域からの応募が多く、その質も高いものであった。昨今の経済不況や、土木に対する厳しい風当たりの中、こうした傾向は喜ばしいものであった。
私は、本年で三年間の審査員任期を終えることとなったが、この間に数多くの現地審査に赴いてきた。そこで感じたことは、土木構造物本体のデザインとともに、その場に設置された小さな工作物類のデザインもまた、等しく重要であることを痛感せずにはいられなかった。デザインとは、本来総合的なものであり、多様な要素が一体となって価値を形成した時、そこに感動が生まれると言っても良いだろう。
そして、最後に思うことは、デザインとは「付加価値」ではないということの再確認である。デザインとは、美的、機能的、経済的、社会的価値を生むものであり、本来の価値そのものを生み出すものである。残念ながら、日本においては、そのデザインがどうしても軽視されがちである。一方、隣国の韓国では今まさにデザインブームである。もちろん、その中には単なる装飾や、疑問を抱くものも少なくない。しかし、デザインによって都市が活性化し、人の心が豊かになることを彼らは知っている。我々が、コスト縮減と経済効率のみに汲々としていては、明日への資産を残すことは出来ないであろう。今一度、「デザインの力」を再認識することによって、「美しい国土と、市民に愛される景観」を創りだしていかなくてはならない。
人は「パンのみに生きるにあらず」。本当の価値とは何かを、一人でも多くの人が共有していくことを願わずにはいられない。土木学会デザイン賞の更なる発展を願う!
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プロセスを検証し、評価していくことの大切さ
宮城 俊作(奈良女子大学住環境学科教授/設計組織PLACEMEDIA) |
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土木学会デザイン賞の審査にあたるのは、今年が初めてであったため、自分なりにどのような評価基準をもつべきか、手探りの状態でスタートすることとなった。まず気づいたのは、今年度はいわゆる土木の本流ともいえる河川、橋梁、ダムなどの土木施設のカテゴリーに応募が多かったという点である。このことは、この賞が創設された当初の目的に沿った状態であるという点で歓迎すべきことなのではないだろうか。審査をする立場からしても、これらの施設を景観デザインの側面から評価することは比較的容易である。なぜならば、明確な形態をもつ施設は、現地での確認によって、かなり明確な基準のもとにデザインの優劣をつけることができるからである。その意味で、今年度の最優秀賞となった「新豊橋」ならびに「遠賀川・直方の水辺」の2件は、それぞれのカテゴリーの中でも文句なく最上位にあった。一方、同じ最優秀賞でも「津和野本町・祇園丁通り」の場合には、評価が難しいと感じた。ここではハードなデザインの水準を問うのか、それらを含む街並み全体の佇まい、さらにはその成果として街が活性化した状態を問うのか、という点で評価の基準が多元的で曖昧になるからである。そこにはソフトウェアのデザインも含まれている。自ずと、評価は分かれることになったと記憶している。土木学会デザイン賞が、街づくりまでを射程に入れていることはよしとしても、これらを含めた「街づくりデザイン賞」のカテゴリーを創設し、その枠内で議論を深めることが望ましいのではないだろうか。さて、こうして選出されたデザイン賞の授賞対象を、今後、どのようにプロモートしていくかも、この賞が担うべき重要な使命であるだろう。すぐれたデザインの土木施設が都市や地域に存在することにどのような価値があるのか、そのことをアピールしていくためには、結果としてできあがったものだけではなく、どのような人々がどのように関わり、どのような方法で意志決定をしていったか、そのプロセスを検証し、評価していくことも大切である。
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トータルデザインの重要性
吉村 伸一(株式会社吉村伸一流域計画室代表取締役) |
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新豊橋の「キズ」が議論になった。橋のプロポーションはとても美しい。隅田川を代表する橋の一つになるだろう。しかし、完成後本体アーチに進入防止柵が設置された。区と警察の連名による立ち入り禁止の貼り紙もある。1枚ははがれて汚いあとが残っている。この橋は落書きや貼り紙などいたずらがされやすい構造である。そのうち貼り紙禁止の貼り紙をするのではないか。もう一つ、この橋周辺の施設が気になった。橋、道路、河川、北区、足立区とバラバラである。地域で問題解決に取り組む。地域住民が隅田川とこの橋を地域の宝として誇りに思う、そういう機運が醸成されていくことではないか。それがなければキズは拡大する。北区と足立区は景観検討委員会メンバーである。この委員会と住民懇談会を一つの拠り所として、新しいまちづくり活動が始まることを期待したい。
黒川温泉の再生は、その意味で示唆的である。無秩序なまちの要所に雑木を植える。各旅館の壁や屋根を黒と茶色を基調とする色にする。乱立していた看板を撤去して共同看板にする。そうやって、少しずつ景観を整えてきた。「入湯手形」の発明で観光客が湯巡りをするようになる。まち全体がなんとなく美しく、歩いて楽しくなる。商売も繁盛する。住民の納得と運動、住民による継続的なまちづくりである。津和野の本町・祇園丁通りも、それが生活空間として住民の暮らしに結びついているから、優れたデザインということができる。見た目の美しさだけではないのだ。遠賀川直方の水辺は、川らしい、伸びやかな空間である。高水敷を切り下げて水面に近い水辺をつくるというシンプルな整備である。地形処理以外の人工的なしつらえを極力排除している。川という空間の質を生かしているから、心地よい。そして、ここにもこの水辺を生かす市民の活動がある。
デザインとは、単体のデザインがよければいいというものではない。つくって終わりでもない。
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